会員の声

我が青春のフォークソング

第四地区 佐藤 重行 会員

昭和39年に初来日したピーター・ポール&マリー(PP&M)が歌った「♫花はどこへいった」、「♫500マイル」等の曲は、当時中学2年だった私の人生を大きく変えました。
何と素晴らしいメロディ、そして美しいハーモニーなんだろうか…。日本に「フォークソング」を芽生えさせる一大事だったのです。
高校に進むなり早速フォークギターを買い、親友とバンドを結成。PP&Mのコピーに明け暮れる毎日でした。
そんな中、当時の渋谷公会堂でマイク真木・高石友也・岡林信康・五つの赤い風船・森山良子など、日本のフォークソングの幕開けとなるコンサートがあり、出演していたザ・リガニーズの「♫海は恋してる」の美しいハーモニーにショック…。PP&Mのコピーや真似でなく、オリジナルでメッセージソングを歌えれば…、と憧れていました。
大学に進学するなり、フォークソングクラブの門を叩くと、な、な、何と憧れの「ザ・リガニーズ」がいたのです。4年先輩でした。当時はグループサウンズも全盛期でザ・タイガース、ザ・スパイダースなどバンド名に「ザ、…」が付いていて、「ザ・リガニーズ」も「ザリガニ」を複数にしたものでした。私も組んだバンドに当時流行っていた映画「座頭市」をもじり「ザ・トーイチーズ」と名付け活動をしました。
初舞台では憧れのリガニーズのベーシスト内山 修氏がバックでウッドベースで参加してくれたことは忘れません。また、この舞台には同期で、後に映画「遠雷」の監督をしブルーリボン賞を受賞した根岸 吉太郎氏も一緒でした。内山先輩は卒業後、吉田拓郎が「♫結婚しようよ」のヒットを出した時のバックバンドをやり、その後、「猫」というバンドで「♫雪」や「♫地下鉄に乗って」などのヒットを出しました。
各大学のクラブとも交流が盛んで、昭和47年に12大学のフォークソングクラブが日比谷野外音楽堂に結集したフーテナニーでは総合司会をしたり、「♫なごり雪」がヒットになったイルカさんが杉並の女子美大のフォークソングクラブで代表をしていた時に親交があったり…、などなど青春の真っ只中で謳歌したものでした。
同期もレコード会社のユニバーサル・ミュージック・ジャパンの社長になった北村氏やイベント会社に進んだ者もいましたが、ほとんどは一般の会社に進み、いま現役引退時期になっています。
私は亡き実母の介護のため、少し早めに退職しましたが、一般の会社を30数年勤め上げ、現在はシルバー人材センターにお世話になり楽しく就業しております。
今は毎年20~30人集まるOB会でギター片手に「♫海は恋してる」の大合唱。そしてオヤジバンドで懐かしのPP&Mを歌い若返っています。


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